中国紀行 レポート10
 中国黒龍江省 方正県 中日友好園林
中国紀行 行ってみれば何かが発見できる。行かなきゃ何にもわからない。 中国 方正県の日本人公墓に行ってみた!

方正県街の郊外 日本人公墓へ向かう途中の道です。農耕トラクター 荷台に載って穀物倉庫へ向かうみたい。

死ぬまでに見たい
中国の世界遺産

羅哲文
中日友好園林(日本人専用の墓地) 門前に到着です。おやじさん,道の真ん中で邪魔してるっちゅうに(∪∪;
献花は妻(中国人)がみつくろい。日中友好の証です。中日友好園林の石碑に公設の歴史が書いてあります。
中国 黒竜江省ハルビン市方正県 中日友好園林(日本人墓地)の住所↓ 現地では「公墓」と呼ぶらしい。 

中国大紀行

TV番組「世界遺
産」のスタッフが
総製作費2億円
を投じて中国の
魅力を余すこと
なく撮り下ろし
正確には,方正県の東6km先にある吉利村から,南に2km程行ったところに位置しています。
吉利村からの途中,刑務所や,軍の訓練所のような建物も見たような・・・(UU; 地元民も知らない。

新中国に貢献した
日本人たち
(初刊)



新中国に貢献した
日本人たち
(続刊)
自作のレトロな掛時計 その時代の時で止まってます

Canon デジタルカメラ PowerShot SX410IS
光学40倍ズーム PSSX410IS
日本人が使用していた日用品のようです。

日本軍 激闘の真相
教科書には
載っていない
開墾や生活道具のようです。桜の木の写真額は,日本が恋しかった面影が伝わります。

世界の戦艦
プロファイル
当時の生活道具が陳列 井戸用蛇口ポンプ,ランプ,茶碗,皿,ビール瓶,ミシン,アイロン,日本軍の軍刀。

日本海軍の潜水艦
戦歴全記録
満州事変,第二次世界大戦の名残(信管は抜いてあるはず・・)日本軍の大砲の砲弾,弾薬箱もあります。

世界の兵器
ミリタリーサイエンス
日本人が開拓時に持ち込んだようです。日本を懐かしんだのだろうか・・・千羽鶴もありました。
表彰を贈った中国政府,そして,中国民に農耕技術を教えた日本人との絆。聖域では敬意は形で示される。




歴史研究の日本人が数人来訪しているらしい。
中日友好園林会館の館長さん
中国残留婦人交流会の鐘 2002年8月建立とあります。団体客の為の撮影用の前で・・・
交流会の鐘を妻(中国人)と鳴らし,共に道を歩む。 中日友好園林会館 館長と来館記念の撮影

そうだったのか!中国
池上彰
熱烈歓迎の看板の前で。 中日友好世界平和記念塔です。  合掌・・・(_人_)
出租車(タクシー)の平安(交通安全)の飾り 私も購入しました(^^)  中日友好園林からの帰り道の並木が綺麗だった。

<メモ>

人間・周恩来
紅朝宰相の真実
 方正県街から,タクシーで約20分くらいの場所に中日友好園林(日本人公墓)があります。
 中日友好園林は,中国国内唯一の日本人専用の中国政府公設の墓地のようです。
ここでは日本のお墓のようになっておらず,大型のコンクリートの円柱筒状で頂点は丸い小山になっており,この中に部屋があって,300名程の日本人のご遺骨が静かに眠っているとのことです(館長の話)。
確かに,他の中国地方の,日本人のお墓の存在は聞いたことない。だから,親しみを感じる地です。
 方正県の街から,園林への案内板はなかった気がしますが,地元の人々は知っています。
お墓の写真は,ここに眠る霊魂に静かに安眠して頂きたく,撮影は差し控えました。(当然ですね)


 中日友好園林(日本人公墓)の公設に至った経緯について,妻や館長の話,歴史からひもときます。
第二次世界大戦前,この地域に日本人が移住して,地元の方々に田畑の開墾や農耕技術を教え,多くの中国人に感謝されていたようです。
 しかし,第二次世界大戦が悲劇を生み,旧ソビエト連邦に多くの日本人が連れて行かれ,シベリア抑留された歴史の中で,この地域も例外でなく,旧ソビエト連邦軍の侵攻南下によって戦火に巻き込まれた歴史があるとのことでした。
 その頃,戦後の混乱期にあった,この地で亡くなった日本の民間人や旧日本軍の遺体が,ところどころで放置されていたようです。


 その折,この地で生き残っていた日本人(現地中国人かも?)が不憫に思い,方正県の中国政府官庁に遺体埋葬を願い出たらしいのですが,地方官曰く,権限が無いということで,その時は不受理とされたようです。
 その後,地元への農耕技術の伝授の感謝があったのでしょうか・・・地方官が当時の中央政府(毛沢東主席)に対して,日本人の遺骨埋葬の申請をして頂いたそうです。
当時の状況であれば,この地方官の行為は,厳しく処分される時代だったと思います。
 しかし,その申し出に応えた,中央政府もすごかったが,気骨のある中国の地方官に感謝せねばなりません。
日本でいえば,杉原千畝さんの功績と同じぐらいかと思います。

周恩来 伝
1898‐1949〈中〉




戦後
中日関係史
 その地方官の申出を聞いた当時の毛沢東主席の補佐官の周恩来宰相が,「戦争は終わった。民間人には罪がない」ということで,公費で日本人の遺骨埋葬の為のお墓を造ってくれたという逸話が,この中日友好園林の日本人公墓の所以と聞きました。
 この地,方正県の人々への農業育成や技術伝授による日本人への感謝が,このような形で実現されたんですね。
その後,周恩来宰相と田中角栄首相により,日本と中国との国交が開いたとおりです。


そのおかげで,私は中国人妻を娶ることができ,言葉に言い尽くせない感謝でいっぱいで,幸せであります。
なので,中国へのご恩は忘れることはできません。 周恩来宰相と田中角栄首相に心より深く敬意を表します。

  
  
  

「喝水不忘掘井人」(毛沢東主席)

水を飲む人は井戸を掘った人を忘れない。
現在でも活かされる言葉だと思います。

     引用:中国の新聞記事より →
 そこで,周恩来宰相についてさらに聞いてみると,多くの尊敬に値すべきできごとが数多くあり,ほとんどの中国人の方々は周恩来宰相を深く尊敬し,敬意を払い慕っていることを知りました。
国を率い国民を導く政治家とはかくあるべし!・・・日本の政治家も見習うべき点が多いと感じました。


 この地に残された日本人孤児は,この地の多くの中国人が親がわりとなって引き取って育てられたようです。
日本人残留孤児の問題については,このような背景があることも忘れてはならないと思います。
戦争とは,人の幸せを奪い悲劇をもたらすという実態を,中日友好園林(日本人墓地)が現代に伝えていると思うのです。
 善を尽くせば恩としてかえり支えられることを歴史は示したと思います。


周恩来 伝
1949‐1976〈下〉
最後に・・・
 中日友好園林(日本人公墓)に来て,本当によかったと思います。
日本人が,この地の多くの中国人に田畑の開墾や農耕技術を教えて感謝されていたこと,民間の日本人若しくは中国人が中国政府官庁に日本人の遺体埋葬を願い出たこと,これに見事応えて,公費でお墓を造ってくれた方正県の地方官と,中央政府の毛沢東主席と周恩来宰相。
中日友好園林に来て,勉強させて頂き,得られたことはすごく多いですし,人として成長できる気がしました。

このような方々の礎があったからこそ,私は戦争を経験せずに生きてこれたこと,感謝に堪えません。 
 私は戦争を知らない世代ですが,あらためて,戦争の悲劇がもたらす結果がわかったように思います。
そして,日本政府と中国政府の狭間で,民間人が互いに手を取りあい助けあっていた事実・・・
このような背景があって国交が開けたからこそ,中国人の奥様とも結婚できて幸せな家庭を築けることができました。

私がすべきことは,後世にこれらを語り継ぎ,戦争のない平和を持続させることが我が使命と感じております。
戦争武器の生産よりも,国民の豊かな生活向上の為に市場経済に投資することのほうが,どれだけ平安で豊かな世界を築けて助けることだろうと考えます。

この地に立ち寄った時は,献花とお線香をたむけてあげていただきたく存じます。
そして,心静かに手を合わせて感謝の念・・・この地に留まった先人や心ならずもこの地で眠られた英霊に対する礼儀として。
 中日友好園林(日本人墓地)に眠る英霊,霊魂に感謝を表し,静かな永眠を心から祈ります。